窓際族の資質
私の父は社会不適合である。
性格いかれポンチであるにもかかわらず、銀行員というおカタイ職業に就いてしまったことを日々嘆いているが、そんな哀愁漂う炎の銀行員を私は敬愛している。
さらに私の弟も、井上陽水ばかり聴いているいかれポンチの社会不適合で、かと思えば私自身いかれたチンポの社会不適合者そのものであった。
今のバイト先にも、明らかな社会不適合ぶりから、周りからは煙たがれているOさんという派遣社員がいる。
Oさんは、ヘマをして叱られる時、自分の非を認められない。
自分の中で少しでもおかしいと思うことがあれば口に出さずにいられない性格のようであった。
そのため他人の業務を妨害しがちで、特に女性社員からひどく嫌われている。
たしかにそのようなところはあるが、私は彼にシンパシィを感じるために、以前から何となく無下にできずにいた。
Oさんは私の大学のOBでもあるので、しばしば私に無駄話を持ちかけたりしてくるが、基本的に話が終わらないのでその度に他の社員に怒られている。
もちろんビジネスの場で歓迎される人間ではないのだろうが、職場の外で会えば、きっとただの話好きな気の良いおっさんでしかないはずである。
だのに人間性を否定されるようなことがあるのは悲しい。
今日は初めて任された企画書の修正作業を行った。
私のバイト先でいうところの企画書とは、こんな本を作りませんか、と企業に持ちかけるための営業資料である。
その企業に出版させる本なので、当然その企業の利益になるような本にしなければならない。
私が任されたのは某グループ傘下のシステムインテグレータ会社であった。
企画書の作り方はひととおりセオリーを教示してもらったはずだが、どうしてもうまいのが作れなかった。
どうにか形だけ作っても、編集長に丸ごと突っぱねられて終わりであった。
当然悔しいので、残業して、躍起になって良いものを作ろうとするが、どうしてもうまくいかない。
思えばこの時点で大きな転倒があった。
仕事で与えられる業務は、お金を稼ぐための手段であり、決して自分が納得するものを創作する作業ではないことである。
締切までに及第点の作品を提出することが急務なのであり、そこに情熱の入る余地などない。
加えて私は一つのことにとらわれると全体の展望を見失う性分なために、のちに省くことになるような要らない分析や記述にパワーを多く割き、刻一刻と時間を失っていった。
22時をまわった頃、ようやく自分の中で嫌な堂々巡りが行われていることに気づいた私は主任に相談にいった。
主任は仕事の上手な男と認識していたので有用な助言をもらえると期待していった。
私は、担当の企業に対して一向に魅力を見出せず、売れる本など書けるはずがないと思っていた。
私が煮詰まっている現状を伝えると、主任は多くの問題点を指摘し、改善を図ろうとしてくれたが、どうも有用な助言は得られたように思えなかった。
指摘を潰すように私が反論を繰り返していると、主任は一部の箇所を簡単に直すよう伝え「そしたらそれでいいんじゃない」と言ったのだった。
私はその時になって初めて自分が失礼なことをしていたことに気づいた。
そのあとすぐに主任は去ったが、私は暫く放心してそこに残っていた。
思うに私は初めからうまい企画書など作る気などなく、心のどこかでこんなクソみたいな企業でうまい企画書なんてできるわけない、仕方ない、と、反論をしているつもりが言い訳をしていたのだった。
主任はそれを悟ったに違いなかった。
しばらくの放心の末、案の定ある程度の形にはなるであろう方向性が定まったのだった。
しかもそれは前のシフトの日に、他の社員からもらった助言の方向性そのものであった。
気づかずに言い訳をしていたのだと気づくと、とてつもない自己嫌悪が襲ってきた。
主任には私のことがOさんと同じに思われたことだろう。
結局、終電の時間までには全く仕上がらず、私は負け戦で家路についたのだった。
嫌な気分だった。
良い経験といえばそうだが、その前にただ私は少し疲れすぎたのだった。
性格いかれポンチであるにもかかわらず、銀行員というおカタイ職業に就いてしまったことを日々嘆いているが、そんな哀愁漂う炎の銀行員を私は敬愛している。
さらに私の弟も、井上陽水ばかり聴いているいかれポンチの社会不適合で、かと思えば私自身いかれたチンポの社会不適合者そのものであった。
今のバイト先にも、明らかな社会不適合ぶりから、周りからは煙たがれているOさんという派遣社員がいる。
Oさんは、ヘマをして叱られる時、自分の非を認められない。
自分の中で少しでもおかしいと思うことがあれば口に出さずにいられない性格のようであった。
そのため他人の業務を妨害しがちで、特に女性社員からひどく嫌われている。
たしかにそのようなところはあるが、私は彼にシンパシィを感じるために、以前から何となく無下にできずにいた。
Oさんは私の大学のOBでもあるので、しばしば私に無駄話を持ちかけたりしてくるが、基本的に話が終わらないのでその度に他の社員に怒られている。
もちろんビジネスの場で歓迎される人間ではないのだろうが、職場の外で会えば、きっとただの話好きな気の良いおっさんでしかないはずである。
だのに人間性を否定されるようなことがあるのは悲しい。
今日は初めて任された企画書の修正作業を行った。
私のバイト先でいうところの企画書とは、こんな本を作りませんか、と企業に持ちかけるための営業資料である。
その企業に出版させる本なので、当然その企業の利益になるような本にしなければならない。
私が任されたのは某グループ傘下のシステムインテグレータ会社であった。
企画書の作り方はひととおりセオリーを教示してもらったはずだが、どうしてもうまいのが作れなかった。
どうにか形だけ作っても、編集長に丸ごと突っぱねられて終わりであった。
当然悔しいので、残業して、躍起になって良いものを作ろうとするが、どうしてもうまくいかない。
思えばこの時点で大きな転倒があった。
仕事で与えられる業務は、お金を稼ぐための手段であり、決して自分が納得するものを創作する作業ではないことである。
締切までに及第点の作品を提出することが急務なのであり、そこに情熱の入る余地などない。
加えて私は一つのことにとらわれると全体の展望を見失う性分なために、のちに省くことになるような要らない分析や記述にパワーを多く割き、刻一刻と時間を失っていった。
22時をまわった頃、ようやく自分の中で嫌な堂々巡りが行われていることに気づいた私は主任に相談にいった。
主任は仕事の上手な男と認識していたので有用な助言をもらえると期待していった。
私は、担当の企業に対して一向に魅力を見出せず、売れる本など書けるはずがないと思っていた。
私が煮詰まっている現状を伝えると、主任は多くの問題点を指摘し、改善を図ろうとしてくれたが、どうも有用な助言は得られたように思えなかった。
指摘を潰すように私が反論を繰り返していると、主任は一部の箇所を簡単に直すよう伝え「そしたらそれでいいんじゃない」と言ったのだった。
私はその時になって初めて自分が失礼なことをしていたことに気づいた。
そのあとすぐに主任は去ったが、私は暫く放心してそこに残っていた。
思うに私は初めからうまい企画書など作る気などなく、心のどこかでこんなクソみたいな企業でうまい企画書なんてできるわけない、仕方ない、と、反論をしているつもりが言い訳をしていたのだった。
主任はそれを悟ったに違いなかった。
しばらくの放心の末、案の定ある程度の形にはなるであろう方向性が定まったのだった。
しかもそれは前のシフトの日に、他の社員からもらった助言の方向性そのものであった。
気づかずに言い訳をしていたのだと気づくと、とてつもない自己嫌悪が襲ってきた。
主任には私のことがOさんと同じに思われたことだろう。
結局、終電の時間までには全く仕上がらず、私は負け戦で家路についたのだった。
嫌な気分だった。
良い経験といえばそうだが、その前にただ私は少し疲れすぎたのだった。