尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

おうち時間

おうち時間、とはきもい言葉だが、今まで意識的に確保することのなかった家での時間という意味では、確かに今までなかった概念なので、時代に合わせて生まれたこの言葉は、他の何物でもない事柄を指す点において無下にできない正統な言葉だと思う。

 

もともと出不精なおれにとって、このおうち時間はさしたる新鮮さをもたらすこともないと思っていた。

 

おれは人混みも飲み会も苦手なので、休日に出かける用事といったらみほきちと昼間に買い物に行くか、犬の散歩に行くぐらいで、外出自粛と言われても何を我慢するでもない生活を送っている。

 

しかし、世の中の人の動きが変われば、回り回っておれのところでもその影響を受け取って生活が変化するようだ。

 

みほきちは最近配信活動を始めたし、おれの方も何か許しを得たようにスプラトゥーン熱が再燃したり、fireTVを買ってみたり、楽器を弾いてみたりするようになった。

それは世の中にそういうコンテンツが以前よりも増えて、盛り上がるようになったからだろう。

おれも知らず知らずのうちに影響を受けている。

 

スプラトゥーンの配信用にキャプチャボードを買った。

必要なことだってうまく口にできないおれのことだから、ゲームしながら喋る動画をYouTubeにアップしたりはしていないが、知らない人でもいいからボイスチャットで一緒にオンラインプレイができたらなどと思い始めている。

 

おれも、ゲームがもう少し上手かったらボイスロイドを使って解説動画とか作ってみたいが、ここ数日何時間も配信してみて、マトモに動画になって見応えのありそうなものが1つもない。

残念である。

終わらせろ!

仕事をな。

 

おれは今やっている仕事にある程度目処が立たないと終業できない真面目なヤツである。

今の会社にもそういった真面目なところと学歴を買われて雇ってもらったところがあるだろう。主に学歴だろう。あとTOEICの点数。

 

仕事の目処が立つとは、今のプロジェクトを成功させるために明日何をすれば良いのかが明確になっている状態のことである。

これがなかなか難しい。

だいたい、わからないことの方が世の中圧倒的に多いのである。

宇宙の果ては?素粒子とは?うちの犬がウンチを食べるのはなぜ?

ほら、わからない。

一度わかった気がしてご機嫌になり、爆弾ジョニーなんかを歌いながら作業を続けていると、問題が浮上してきてもうめっきり萎えてしまうことはよくある。

いわゆる、わかった気になっていただけというヤツである。

 

まったく仕事というのは大変だな。

途中で投げ出せないし、人のせいにしたら爪弾きにされるし、何より人からお金貰ってるのヤバすぎる。おれの人となりを知っていたら、みんなあんな契約金なんか払うわけないのである。

デザイナーって、絶対インハウスの方が楽してる。

 

実を言うと、「明日何をやればプロジェクトが成功するか明確になっている状態」で仕事を終えることなどほとんどない。

(全然真面目じゃない。)

大方、考えないフリをしているか、わからない恐怖に怯えてプライベートの時間を台無しにしているかのいずれかである。

もうちょい頑張れや!逆に、頑張ってたら大丈夫だ。

 

さっき、前職の後輩から連絡が来た。

向こうにしてみれば半年ほどしか付き合いもなく、マトモに育成もしないまま転職しくさったクソ先輩に違いない。

それでも、おれのことを思い出して連絡を寄越してくれるなんて控えめに言って嬉しすぎる。

ついつい、嬉しくなってしまった。

やはり、同期・先輩後輩というのは良い。(先輩はテキトーな先輩に限る)

今の会社には年の近い同僚があまりおらず、テレワークゆえに隣の席で誰かがモモウメみたいな話を振ってくれることもありえないので、やはり寂しい。

それを差し引いてもテレワークは計り知れない価値を持つが。

 

今日はクライアント先の会社に商品の見学に行った。

そのあと、頑張ったのでちょっと仕事が進んだ。(と思う)

濃いめのハイボールが、うまいと感じた。

10分日記 クリエイティビティについて

風呂に浸かっている10分間で書ける日記を書こう。という企画です。

 

語りえぬ想いが高まって、何か創造的なことをしたいと思い、Apple Pencilを持ち、絵を描こうとしても、何も描けない。ピアノを弾いてみても、弾けない。リズム感が死んでいる。

 

何かを写生するのではなく、心の内にある風景を描いてみたい。風景は人の姿であっても構わない。ただ自分の中にしかない何かを表現したい。そういう憧れがある。

曲だって、既成の曲でいいから、自分の気持ちをのせてみたい。

 

できあがるものがつまらなすぎて泣けてくる。余計につらい。

 

良い絵画は、何かを描こうとしては決して描けない。描ける時というのは、決まって学校の授業中に無意識にシャーペンを突いて出るものであった。

 

ピアノを昔習っていた。楽譜も全く覚えていないが、左手も右手もメチャクチャな動きをしながらも、当時としてもなぜ弾けているのかわからないような曲が弾けたことがあった。

右手と左手がてんでバラバラのリズムで、どの音とどの音を同時に弾いているのかという意識が全くないまま演奏していた。

発表会の日にしても、そのなぜ弾けているのかわからない感覚のままだったので、妙な危うさを持ったまま演奏し切ったことを覚えている。

あれは何だったんだろう。

フレディ ・マーキュリー、そんなにマッチョではない説

映画「ボヘミアン・ラプソディ」のブームがとっくに終わった今、この今、未だにフレディ・マーキュリーのことを考えている人間が、俺の他にいるだろうか。

 

あまりいないと思う。

フレディは、なんとなくマッチョなイメージがあるが、実はそんなにマッチョではない。

 

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ほら。いや、体毛がすごいな。

 

別にこんなこと誰に伝えたって何にもならない話だが、俺は今ここに書いている。だからこそここに書いていると言える。

誰に伝えたって仕方がないのだから。

伝える必要もないことについて、ただ文章を書きたいという欲求を叶えるために、書いている。

 

フレディが何となくマッチョなイメージを持たれている理由は、あの卑猥なランニングシャツと豊満な胸毛があるからこそに他ならない。

 

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どう見てもゲイである。

 

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これはレミ・マレック。なんならレミ・マレックのほうがマッチョである。

 

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このポーズかっこいい。

 

文章を書きたいと言って始めて、フレディの画像を転載するだけの人になってしまった。

 

最近仕事が忙しい。

日曜日よりの使者って結局何者なの?

このまま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜どこか遠く〜〜(中略)

連れてって〜(中略) くれないか〜(中略)

君は〜(中略) 君こそは〜(中略) 日曜日〜(中略)よりの〜(中略) 使者〜〜〜〜〜〜

 

改めて聴くと、引っ張りすぎじゃない?

日曜日よりの使者」を日曜日以外に聴いていたら、日曜日以外に聴いちゃダメ!と怒られた。

おいおいそれは違うだろ。この曲は日曜日以外にこそ聴く曲ではないか。もしかして「日曜日よりの使者」が何者なのか、わかっていないのか?

 

日曜日よりの使者」は、日曜日からやって来る何者かである。

 

特徴①

日曜日よりの使者は、たとえば世界中が土砂降りの雨だろうと、ゲラゲラ笑える。

底抜けに明るい奴である。日曜日よりの使者とは、フワちゃんのことなのだろうか。

少なくともこの時点で日曜日よりの使者はフワちゃんによって代替可能である。

 

また、昨日の夜に飲んだグラスに飛び込んで浮き輪を浮かべたらしい。

愉快な奴である。そしてめちゃくちゃに小さい。だが、酒を飲むらしい。

夜に飲むグラスという言葉が持つイメージは決して明るくない。フワちゃんは夜にグラスで飲まないからである。(物事の明るい明るくないはフワちゃんで検証可能である)

一方で、飛び込んで浮き輪を浮かべるという行為は底抜けに明るい。

浮き輪なんて、海水浴とかプールとかだいたい友達と一緒で、晴れてて楽しい時にしか使わない明るいアイテムである。

そしてグラスに飛び込めるような小ささは、理屈に囚われないファンタジーさ、同様に底抜けな明るさを表している。

日曜日よりの使者は、昨日(=過去)の憂鬱を吹き飛ばす明るい奴だとここでは言っていることがわかる。

 

さらに日曜日よりの使者は、適当な嘘をついてその場を切り抜けて誰一人傷つけないらしい。

日曜日よりの使者、めっちゃ良い奴。誰一人傷つけないということは、誰にもできることではない。

誰もがそうありたいと願ってもできない姿を体現して見せる。

適当な嘘をついてその場を切り抜ける姿も、憧れる。日頃、責任や面倒事に悩まされる現代人にとってこんな素敵なことはない。漫画でしかいない非常識なキャラクターのように、適当な嘘をついて、どんな場面も飄々と切り抜けていけたらどんなにいいだろう。さらにその上誰も傷つけないことができるなんて。

ここで日曜日よりの使者は、我々にとって、こんなことができたらどんなにハッピーだろう、ということを体現する存在であることを言っている。

 

次に、流れ星がたどり着いたのは、悲しみが沈む西の空であり、そして日曜日よりの使者は東から昇ってくるものを迎えに行くらしい。

流れ星がたどり着いたのは、西の空、それも悲しみが沈む、西の空だったのか...

この広い宇宙を駆け抜けて、悲しみと共に、西の空へ消えていく。流れ星の切ない一生である。

しかし、日曜日よりの使者は、東から昇ってくる朝日を迎えに行く。非常にポジティブである。

悲しみが沈む西の空をきちんと見送り、そして迎えに行く。悲しみを見つめながら、新しい希望に向かって前進していく明るい意思を持った存在であることがわかる。

 

このままどこか遠く 連れてってくれないか

君は 君こそは 日曜日よりの使者

激しく懇願している。お前に言っているんだぞということを念押しして、確実にどこか遠くへ連れて行ってもらおうとしている。

切実な想いである。

 

たとえばこの街が 僕を欲しがっても

今すぐ出かけよう 日曜日よりの使者

強い意思が見える。この街が、いてくれよと言ったって、僕はもう聞かないよ。どこか行っちゃうよ。ということである。日曜日よりの使者に連れて行ってもらうことによりね。

この2節は聞き手の切実な想いの代弁である。要するにもう現実が辛いので、どっか遠く行きたい、もう今さら周りが何を言おうと知らん、という話ですね。

この「宣言」がまた底抜けに明るい。これでいいんだ。と言ってくれているような。

そして同時に底抜けに切ない。ありえない希望を描くことほど悲しくて美しい状態はない。人はそれを切ないと言う。

それでは、さようなら。

シャラララ、シャララララ、シャラララララララ.......

 

 

何にもないってことはないはずだ

毎日、24時間、欠かさず生きているわけだから、書くことが何もないってはずはない。

 

自分の生活は、時に満たされているような気がすることもあるが、基本的に空虚である。みんなそうである。みんなそうじゃないのは、ずっと満たされているか、ずっと空虚な人である。

 

案外、みんな満たされていたりするのか?

調べたら、日本の平均では、今の生活をはっきり「幸せ」とする人の割合は24%らしい。やはりそんなところである。

 

なくしたApple Pencilを買ってもらった。

さっそく何か描こうと思ったが、描くべき情景がまるで浮かばず自分の芸術的素養のなさに絶望した。

 

俺はしょせん、職業クリエイター。アーティストにはなれないのである。

 

おれが芸術性を発揮するのは、授業中の落書きだけである。

何か描こうと思って絵を描く時、おれの絵はたいへんつまらないものになる。何なら普通に下手になる。

 

不思議だ。