尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

熊のおじさん

最近お父さんがノスタルジーを持て余して昔の写真を発掘しては家族LINEに連載している。

小学生ぐらいの私を見ると、目が大きくて表情も豊か、光GENJIか?と見紛うほどの美少年である。

しかし中学生ぐらいからショボショボと目が細まっていき、髪型はダサくなり、太っていった。

あの可愛かった矢吹少年に何があったのだろう。

もしもあの瞳を今も保てていたら、数段薔薇色な人生を歩んでいたことと思う。

視力は昔から良かった。私は人より助平だったので、人より物がよく見える必要があったのだ。

眼が良いというのは便利で、顔面をパンチされても眼鏡が割れて必要以上にどんよりしたムードに陥ることもないし、コンタクトが裏返って悶絶することもない。何よりお金がかからない。

ところが大学2年生ごろ、慢性的な眼の痛みから眼医者に行くと、軽い遠視を診断され眼鏡を作ることを勧められた。

以来長時間近くのものを見る時は眼鏡をかけるようになった。

ところで、その眼医者のおじさんは印象深い人だった。

ジョリジョリの青ヒゲに見合わぬ子犬のような瞳を持ち、体躯は熊のようにずんぐりしていた。

私は彼を熊のおじさん、Uncle Bear と呼んだ。

2年前に診療所を訪れた時、室内は日当たりが良い印象で、患者もほとんどおらず、熊のおじさんは診察もそこそこに聞いてもいない無駄話を延々としてきた。

こうやって患者が来たら話をして、来ない時は本を読む今の生活が好きなんだと言っていた。

私が日本文学科だと知ってそんな話をしたのか、見せられた読みかけの本は森鴎外の雁だった。


先日、卒論とモンストのしすぎから耐えきれぬ眼の痛みを覚えた私は再びこの熊のおじさんを訪ねることになった。

二年前と違って診療所は満員で、窓にはカーテンが閉まっていて暗かった。

順番を待っている間、ひとつ前の患者の様子を窺っていると、どうやら治療を受けにきたわけではないような雰囲気を感じた。

帰国子女なのか、今かかっている他の医者をアメリカの場合と比べて英語まじりに愚痴を言っていた。

熊のおじさんはなだめながら応対していた。

繁盛はいいことだけども、以前のようなのんびりとした生活はなくなってしまったようで、不憫に思った。

しかし、私が診察を受ける順番になると、以前のように無駄話をまくしたてて私を困惑させた。

もはや2年前のようなナメたことは言ってられまいと思ったがそんなことはなく、基本的な雰囲気は前と同じだった。

当たり前のことだが、熊のおじさんはこの2年間同じように眼医者をやっていたのだなと思った。