尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

イギリス一人旅 最終日

尿漏れ程度にしかお湯の出ない浴槽で四分の一身浴しながら考えていた。

あと一日何をしよう。

予定より早くロンドン古着屋を見終えてしまった私は、旅行最終日の丸一日をノープランのまま迎えることとなった。

素直にストーン・ヘンジでも見物しにいくかと思ったが、私はあのいしにさほど興味がなかったし、そうでなくとも神秘を気取った観光地の低俗さにうんざりしていたので、他のどこか誰も行かないような所へ行こうと考えた。

そこでふと思い出したのが、「鷲は舞いおりた」という、同名の小説を原作とした1974年の映画であった。

こういうバリ古い映画は感性タイムスリップしているため得てしておもろないが、この映画は作品の中の風景がとても気持ちよくて好きだった。

イギリスかそれこそアイルランドの田舎で撮影したものと見えたので、「鷲は舞いおりた ロケ地」で検索してみたら案の定イギリスの湿原地帯でいくつかのシーンを撮影したということがわかった。

場所はメイプルデュラム。

一応リゾート地ではあるようで、観光者向けの英語で書かれたサイトはあるが、いかんせんマイナーなようで、十分な情報は得られなかった。

交通のアクセスは悪く、電車の駅から徒歩でというようにはいかず、駅からボートに乗るか車でしか行けないようだった。

ちゃんと辿り着けるか不安だったが、その時の私はわりと血迷っていたので、本当にそこを目指して出発した。

ボートが出るという駅はリーディング・ステーションだった。

そこまで行くのにわざわざ特急列車に乗った。

車内には日本人観光客もいたが、リーディング・ステーションで降りる奴もおらんだろうと私は何やら得意げだった。

大きな駅だった。私は降りてとりあえず川を目指した。ボートは川で使う乗り物だからである。

ボートは一日一度しか出ないので、時間に間に合うか不安だった。

道がよくわからんので、子連れのおじさんに尋ねた。

歩いていける距離ではないこと、ボートで行けるという話は知らんけど、船着場の場所はあっちであることを教えてくれた。

川沿いに出て、それらしきものはいくつかあったがどこからもメイプルデュラム行きの船は出ていなかった。

絶対これじゃん!っていう明らかにクルージングしそうなボートがあって、船着場にはレストランもあったのだが、ひとっこひとりいなかった。

私は勝手に乗り込んで、「ハローーー!?」「エニバディヒアミーーー!」と映画みたいなことをやってみたが、無人そのものであることが明らかになるばかりで、やった後でなんだか恥ずかしくなった。

公園のおじさん、フィットネスクラブのひと、ホテルのひと、いろんなひとに尋ねて回ったが、一向に手がかりは掴めなかった。

そうこうしているうちに船の時間は過ぎ、とりあえずたしかなことは、おれはメイプルデュラムに辿り着けないということだった。

ところで曇っていた空が晴れると、リーディング地方の川沿いは泣きたくなるほど気持ちが良いのだった。


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この写真は実際に撮ったものではないが、このように白鳥がいたりして、静かで澄んでいて、のんびりした時間が流れているのだった。

なんか食って元気だそうと思って、近くにあったメキシコ料理店みたいなところに入ることにした。

お店はバイキング形式だった。よくわからんインドみたいなビールを頼み、死ぬほど食べた。

主な客層は地元の人、家族連れもいたりして、落ち着くようだった。

会計の時に店員のお兄さんと、私が訊いたか訊かれたのか、とにかくメイプルデュラムの話になった。

船を逃したならタクシーでそんなに高くなく行けると思う、と言って、わざわざ電話をかけてくれた。

それも二つの会社に電話して安い方を予約してくれた。

メキシコ人なのかミャンマー人なのかよくわからなかったが、その人は凄く優しくて、たばこを一本くれて、タクシーが来るまで話に付き合ってくれた。

ここリーディングには出稼ぎに来てもう16年経つということ、でもメイプルデュラムには行ったことなくて、リゾート地としては知られていることは知っているということ。

私がイギリス旅行に三日間しか日をとってないことに驚いていた。今日が最終日だと聞くと、なおさら行けないのはかわいそうだと、親身になってくれた。

本当はまた家族でロンドン旅行に来る予定があったが、それはややこしくなりそうなので内緒にしておいたが。

最後にはなんだかミネラルウォーターまでくれて、もしや法外なチップとかごねられるのではないかとビビったが、むしろ感謝の気持ちで渡そうとした5ポンドまで断られ、海外旅行で荒んだ人間不信の心が浄化されるように思えた。

彼は善人に違いなかった。

故郷を離れ、16年間をイングランドの田舎のレストランに勤めて過ごして、そして今もそこに勤めているであろう彼を思うとピアノマン的なセンチメンタルを感じる。




タクシーに乗って、着く頃には小雨が降っていた。

着いたところでまず目に入った教会は、劇中に登場した印象的なもので、嬉しくなった。


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しかし妙なのが、ここも人がまるでいないということである。

教会の裏は自然公園のようになっていて、そこに見覚えのある風車小屋などもあった。


イメージ 3



公園に入る門は閉ざされていたので、教会の裏手から回り道をして侵入した。

写真を撮りながらのんびり散歩していると、使用人らしきおばさんがやってきて、ふつうにつまみ出された。

どうも今日はやってないらしいということだけがわかった。

中に入れんので敷地外をウロウロしてみたがすぐに飽きて暇になった。

帰りはまた呼んでくれと渡されたタクシーの電話番号は、ここを管理している人間の誰かしらに借りようと思っていたが、その日は閉まっている上、先ほどの件で完全に怪しまれているおばさんには声をかけにくかった。

仕方ないので、普通の村民、シーズンの観光客を相手にしているであろうアトリエを構えて絵を描いているおばさんを見つけて、電話をどこでかけられるか尋ねた。

そう言えばケータイを使ってかけてくれるかという、日本人的な甘えた期待を抱いたが、その人は文字通りに電話ボックスの場所を教えてくれた。

行ってみると、その電話ボックスはもう使われておらず、英国のアイデンティティの遺産として残してあるだけの、要はくその役にも立たぬただの赤い公衆便所であった。しかし公衆便所ならばくその役には立つのだった。言うなればそう、ただの赤いトーテムポールに他ならなかったのである。

困った困ったと小躍りしていると、ランニングをしている若者がグループでやってきて、ワッツアップメーンと言ってきた。

ワッツアップではない。電話をかけたいのだがこの電話ボックスが使えんのだと伝えると、すると優しいお嬢さんがケータイを使って電話をかけてくれた。

シェイシェイと言って見送った。

なんだみんな優しい人ばかりではないか。



人間と人間の関わりの必要性は、突き詰めればすべては助け合いの中にある。

一人では生きていけない時に人との関わりが生まれるのであれば、現代の人間関係の難しさは必然である。

みんな一人で生きていけないことはないからである。

でもそれでは退屈だから人は外に出るし、出られるようにしておかなければならないのである。