尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

「悩む」って何だい?

考えている時間=悩んでいる時間だろうか?

 

悩んでいる時間とは、何か現状に不満、問題があってそれを解決しようと頭を巡らせ、考えている状態である。

考えている状態は常にネガティブを抱えているか?

 

しあわせな悩みというのがある。

良い牛肉を安く買えたので、今晩はすき焼きにしようか焼肉にしようか悩んでいる奴がいたら、それはしあわせな悩みである。

しあわせな悩みの例がしょうもなさすぎて情けなくなってくる。

しかし、しあわせな悩みとはそういうものである。

 

要するに、悩んだ結果、導き出した自分の答えが何であれ、実際のところ自分にとってみてもどっちでも良いという悩みのことだな。

 

たしかにこういうのはあるように思えるが、悩みが、深くなればなるほど、それはすなわちどっちを選んでもどっちでも良いという状態であるとは言えなくなる。

本当にどっちでもいいなら、悩まなくて良いのである。

自身の選択が、少なからず後悔などの不快を導くという可能性を予期しているからこそ、その人は悩むことに時間を使ってしまっているのだ。

 

おれなんかは優柔不断なので、その気持ちがよくわかる。先の例で言えば、やっぱり焼肉の方が良かった!というような、やっぱりあちらにしておけば、という発言をよくしている。

不幸な奴だと思うだろうか?

 

それでいえば、間違いなく不幸な奴である。

深く考えずに、焼肉すき焼きどっちでも良いから選んで(もしかしたらすき焼きという発想もなく焼肉をするかもしれない)結局うまいと言って食べる奴が間違いなく一番幸せな奴である。

なぜなら不幸になる可能性がゼロだし、時間を無駄に使ったりもしてないためにその分早く焼肉を食えるからだ。

 

おれは一体何のために頭を悩ましているのか?

仮に、焼肉かすき焼きか、周到な情報収集と十分な分析によって絶対にこちらだという明確な根拠を持って焼肉を選び、やっぱり焼肉にしてよかったと思う、その成功体験が得られたとして、その後の人生でおれは、何も考えずに焼肉を選んだ奴と比較して何か良い思いができるのか?

 

どうなんだい!?

 

おれは、悩んでいる状態が「本当」だと心のどこかで思っている節がある。

悩んでいる状態が苦しくて辛くて、何も悩みがなくて無敵みたいな状態いる時が幸せなことは、よく知っている。

さすがのおれだってもう25、どちらも経験してきた。

でもやっぱり悩んでいる時の方が本当な気がする。

悩みがないと、いいのかなこれで?という悩みが浮かんでくる。

人は悩む生き物。犬はうんちを食べる生き物。空は青い。