スイス回想記
ちょうど3年前の今頃、私はスイスにいた。
荒野アイスランド旅行から帰って翌日の1/20日から28日まで、おおよそ1週間を過ごした。
出発の日は、アイスランドの激さむい日々と帰りの飛行機の無茶(ホステルのロビー泊および恒例の空港ダッシュ)(旅行にダッシュは付き物である)によって、完全に体力を消耗して風邪をひいていた。
早朝、まだ日の昇らないダブリンシティで朦朧とする意識の中バスを待っていたのはスイス旅行の時だったと思う。
ダブリンバスは絶対に時刻表を守らない、自分を持っているタイプの公共交通機関なので、その時も目当てのバスは待てども来なかった。
そのことは承知の上だったので、信じられないぐらい早く寮を出たはずだった。
空が明るみ始めた頃、空港行きのバスは来た。
空港でもずいぶんと待った。
なぜか、ビジネスクラスに格上げになった。
機内では食事にパンが出た。
初日の予定は、ツェルマットに行くことになっていた。
そう、スイスの壮大な雪山でスキーをする算段だった。
そもそもスイスの観光シーズンは春から夏であり、冬に行っても国民は全員家の中で暖炉を囲んでいるし外は雪で埋まっているので、できることといえばスキーしかないのである。
空港からツェルマットへは電車で向かった。
長い長い電車だった。車両ではなく、乗車時間が。
熱に浮かされていたので、永遠かのように感じられた。
薄暗い車内で、満席のボックス席だった。
目の前に座っていたイケオジが自分と同じブランドのジャンパーを着ていた。
ツェルマットには夜遅くに着いた。
街並みは基本的にロッジ。マンションらしいのもあった。街中にスキーリフトがあるなど、滑り屋のために造られたような、いわば滑り都市であった。
体力は限界だったが、何か食べないと身体が回復しないと思ったので、ホテルのレストランで夕飯を食べた。
私は風邪の時にいつもの3倍飯を食うように教わって育てられた男だった。
レストランは地下にあって、みんな楽しそうにお酒を飲んでいた。
寝床の様子はよく覚えていない。
朝起きると快晴だった。
太陽が雪に反射して、今まで体験したことのない眩しさを感じた。
まともに目を開けて往来を歩けないので、不本意な店で不本意なサングラスを買わざるを得なかった。
そのサングラスとは、タモリが着用しているのと同じモデルである。
スキー板など持参できるわけがなかったので、レンタルした。
ひとりでスキーに来たということを店員に話すと、たいそう驚かれて「cool」と言われたのを覚えている。
たしかに、スイスの雪山には親しい友人や家族などと来るのが一般的であり、またより楽しいことだろう。
ただ私にはそうした友人がいなかったまで。coolではない。
ツェルマットのスキー場はとにかく広い。
そのスケールは東京ドーム何個分では測れない。
かの有名なマッターホルンを中心に、スイスとイタリアを跨いで延々と滑っていい地形が広がる。
スイスから登ったと思ったらイタリアに滑り降りる。それがマッターホルンスキー場。時間のことを考えないで滑っていると夜に宿へ帰れなくなってしまう。
大江戸線のエスカレーターを思わせる巨大ゴンドラでまずは一番高いところへ。
そこでミートソーススパゲティを食べた。
滑り心地は控えめに言って世界一。風邪も忘れて楽しんだ。
宿に戻ると風邪を思い出して具合が悪くなった。
スイスの、よくわからない風邪薬を飲んで寝た。
2日目に続く。