尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

三ツ峠山登頂記

おれは山梨県に生まれ、大学に入学するために上京するまでを山梨県で過ごした生粋の甲州ボーイもとい芋男である。
この世に生を受けてから小学3、4年生ぐらいまで、春日居町(現在の笛吹市の一角)という辺鄙な町でぬくぬくと育った。
春日居町は地理的に石和温泉から程ない場所に悠然と広がる葡萄畑の別称と言っても過言ではない。
(ちなみに自称今早稲田で最も勢いのあるテニスサークル、「トリコローレ」の合宿がここで行われ、おれのケツに充電器が突き刺さったことはあまりにも有名である)
その後、我々杉山一家は櫛形町(現在の南アルプス市の一角)に移り住んだ。
山梨から山梨へ。from田舎to田舎である。山梨内でどう足掻こうともその強大な田舎から逃れることはできない。
どちらの地域からも富士山がよく見えた。山梨に住む以上、どう足掻こうともかの強大なマウンテン・フジヤマから逃れることはできない。
故に山梨県民は、富士山を見に、他県、引いては他国からやってくる観光客を馬鹿にしがちである。
「オーウ!マウント・フジ~!ジョウチョ(情緒)ジョウチョ(情緒)~!」などと言っている外国人がいれば、「あんなものは毎日見れるのですよわたくしたちはね」と性格の悪いことを思うのである。
また、富士の半分を共有する静岡県民ともとかく対立しがちである。
そしてこの闘争は、富士をよく知らぬ他県民にとって地元民同士の醜い張り合いに思われがちである。
だが、その実、美的感覚を致命的に欠いた醜い主張を繰り広げているのは静岡県民だけであり、山梨県民は正論を唱えているに過ぎぬ。
富士山が山梨のものであるとは言わない。事実県境は富士山を二分するように敷かれている。
だが、それはあくまで地理的な事実であって、ただ単に山が一つ山梨県静岡県の間に存在するということを示すのみに過ぎない。
数ある山の中で富士がとりわけ価値があるとされるのは、その姿の美しさに理由があることは自明である。
ならば、この闘争は“どちらの県から見た富士が美しいか”という論点により簡単に決着をつけることはできまいか。
諸君、各自それぞれGoogle画像検索をされたし。
見よ、山梨の誇る美しき富士を。見たまえ、静岡の富士を。なんだあのコブは。いかに茶畑や海を手前に供えてみようとも、あの歪な起伏は富士の魅力にあらず。
向かって正面の山肌も、もはや雑多と言っても差し支えはなかろう。
富士の美しさはその数学的ともいえる完璧に近い均整にある。静岡のあれでは、富士である意味がない。ただのアコンカグアである。
富士が世界的にも珍しいのは、ずっと麓の方まで富士であり続けるからではないのか。
事実、世間で見る富士の写真はほとんど山梨から撮影されたものなのだ。
よって、美しさの象徴としての「富士」とは、山梨から見た山を指すのであり、醜く突っかかってくる静岡県民ははっきり言ってオチンチンなのだ。静岡のありゃただの高い山なんだ。わかったか!バーカ。静岡県民は鰻の掴み取りでもやってろ!

富士を巡る山梨の強みは、他の山々が多いことでナイスな展望スポットが存在することもあげられる。もう静岡完敗である。
三ツ峠山は、富士が良く見えるということで有名な山だ。
おれは昨日、その三ツ峠山に登ってきた。
この三ツ峠山は、かの太宰治も登ったことがある。
その様子は太宰の短編小説「富嶽百景」に記されている。
太宰は山梨県は御坂山の茶屋にしばらく滞在していた時期があり、その時に師匠である井伏氏と三ツ峠山も登頂したらしい。
以下にその小説の一部を引用する

井伏氏は、ちゃんと登山服を着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。茶屋のドテラは短く、私の毛脛は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかっていた古い麦藁帽子をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟いて、私をいたわってくれたのを、私は忘れない。

太宰治富嶽百景』角川文庫より)

というように、富士は曇っていて見えなかったり、井伏氏はつまらなそうに放屁したりするなど、いつもの情けないカンジである。
ちなみにおれの昨日の服装は、浦和レッズのレプリカユニフォームとタオルマフラーに、中学時代に使用していたテニス用のウィンドブレーカーの上下を合わせ、お母さんのお下がりの迷彩柄のキャップ帽という太宰に負けず劣らず情けない格好であった。
ちなみにおれが昨日登ったコースは太宰の登ったコースと異なり、片道四時間の中級者向けのコースであり、この服装はわりと舐めていると言われても致し方ない。
靴と靴下は、トレッキングシューズなるものを(お母さんが)大枚はたいて購入してあった。
陰湿な引きこもりのおれがなぜそのような軽い気持ちで登れないような山に挑むことになったか。
それは友人の深石氏の誘いがあったからである。
彼は大学の友人で、能天気なオタクである。
ファッションに精通していたり、音楽に精通していたり、AV女優に精通していたり、趣味が高じてアニソン専門DJをやっていたりするヘンな男である。
スーパーのバイトを勢いで辞めた後路頭に迷っているところをおれがバイト先に紹介したので同じアルバイト先に勤める。
深石氏はアホだが、コミュ力が高く常識を知っているので、アホなところを上手くカバーしてやっていけている。
ちなみにおれはコミュ力と筋力が皆無な上に非常識なので前回のバイト先ではさながらユダヤ人の如く虐げられたが、今のバイト先では、人と話さない作業において抜群の有能さを誇る。人と話す仕事、電話対応などはできるだけ避けられ、どうしても必要な時は話す内容を原稿に書かされる。
深石氏はオタクなので大体のアニメを観ており、中でも「ヤマノススメ」というアニメが最近では気に入ったらしい。
ヤマノススメ」は女子中学生が登山するアニメである。
そのアニメに影響された深石氏は去年の夏頃から「山登ろうぜ!」と騒ぎ出した。オタクは得てして影響されやすい。
深石氏は、アニメに倣い、まず高尾山に登ろうと積極的なアプローチをしかけてきて、去年の初夏に深石氏とおれと他二人の友人で高尾山に登った。
男子大学生が高尾山に登っても経済効果は生まれないが、女子中高生の影響力は凄まじいことを実感した。
それ以来深石氏はまた引きこもりの実務に戻っていたが、ヤマノススメ二期が放映されると、また思い出したかのように「山登ろうぜ!」と騒ぎ出した。
今回は、やはりアニメに倣い、三ツ峠山に登ろうということだった。無理矢理ヤマノススメのその回を観せられた時には、別にこんなもの観せられなくても普通に誘われたら登るのにな、と思ったが、どうやら彼はただ自分のお気に入りのアニメを観せたかっただけのようであった。
その後も全部観ろ!としつこかったが、おれは結局観なかったので、昨日は怒られた。
三ツ峠山はわりと舐めていると死ぬことができるレベルの山であることが下調べで分かったので、我々はトレッキングシューズを購入した。
そして慣らしという意味で今一度、スリッポンとサルエルパンツでいける高尾山を軽く夏休み中に登頂し、涼しくなってきたら三ツ峠に登ろうという計画を立てた。
一度予定を立てた日は悪天候で中止になり、昨日、ようやく登ることができたのである。

(後編へ続く)


デカダンアルバイト  矢吹丈