尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

日曜日よりの使者って結局何者なの?

このまま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜どこか遠く〜〜(中略)

連れてって〜(中略) くれないか〜(中略)

君は〜(中略) 君こそは〜(中略) 日曜日〜(中略)よりの〜(中略) 使者〜〜〜〜〜〜

 

改めて聴くと、引っ張りすぎじゃない?

日曜日よりの使者」を日曜日以外に聴いていたら、日曜日以外に聴いちゃダメ!と怒られた。

おいおいそれは違うだろ。この曲は日曜日以外にこそ聴く曲ではないか。もしかして「日曜日よりの使者」が何者なのか、わかっていないのか?

 

日曜日よりの使者」は、日曜日からやって来る何者かである。

 

特徴①

日曜日よりの使者は、たとえば世界中が土砂降りの雨だろうと、ゲラゲラ笑える。

底抜けに明るい奴である。日曜日よりの使者とは、フワちゃんのことなのだろうか。

少なくともこの時点で日曜日よりの使者はフワちゃんによって代替可能である。

 

また、昨日の夜に飲んだグラスに飛び込んで浮き輪を浮かべたらしい。

愉快な奴である。そしてめちゃくちゃに小さい。だが、酒を飲むらしい。

夜に飲むグラスという言葉が持つイメージは決して明るくない。フワちゃんは夜にグラスで飲まないからである。(物事の明るい明るくないはフワちゃんで検証可能である)

一方で、飛び込んで浮き輪を浮かべるという行為は底抜けに明るい。

浮き輪なんて、海水浴とかプールとかだいたい友達と一緒で、晴れてて楽しい時にしか使わない明るいアイテムである。

そしてグラスに飛び込めるような小ささは、理屈に囚われないファンタジーさ、同様に底抜けな明るさを表している。

日曜日よりの使者は、昨日(=過去)の憂鬱を吹き飛ばす明るい奴だとここでは言っていることがわかる。

 

さらに日曜日よりの使者は、適当な嘘をついてその場を切り抜けて誰一人傷つけないらしい。

日曜日よりの使者、めっちゃ良い奴。誰一人傷つけないということは、誰にもできることではない。

誰もがそうありたいと願ってもできない姿を体現して見せる。

適当な嘘をついてその場を切り抜ける姿も、憧れる。日頃、責任や面倒事に悩まされる現代人にとってこんな素敵なことはない。漫画でしかいない非常識なキャラクターのように、適当な嘘をついて、どんな場面も飄々と切り抜けていけたらどんなにいいだろう。さらにその上誰も傷つけないことができるなんて。

ここで日曜日よりの使者は、我々にとって、こんなことができたらどんなにハッピーだろう、ということを体現する存在であることを言っている。

 

次に、流れ星がたどり着いたのは、悲しみが沈む西の空であり、そして日曜日よりの使者は東から昇ってくるものを迎えに行くらしい。

流れ星がたどり着いたのは、西の空、それも悲しみが沈む、西の空だったのか...

この広い宇宙を駆け抜けて、悲しみと共に、西の空へ消えていく。流れ星の切ない一生である。

しかし、日曜日よりの使者は、東から昇ってくる朝日を迎えに行く。非常にポジティブである。

悲しみが沈む西の空をきちんと見送り、そして迎えに行く。悲しみを見つめながら、新しい希望に向かって前進していく明るい意思を持った存在であることがわかる。

 

このままどこか遠く 連れてってくれないか

君は 君こそは 日曜日よりの使者

激しく懇願している。お前に言っているんだぞということを念押しして、確実にどこか遠くへ連れて行ってもらおうとしている。

切実な想いである。

 

たとえばこの街が 僕を欲しがっても

今すぐ出かけよう 日曜日よりの使者

強い意思が見える。この街が、いてくれよと言ったって、僕はもう聞かないよ。どこか行っちゃうよ。ということである。日曜日よりの使者に連れて行ってもらうことによりね。

この2節は聞き手の切実な想いの代弁である。要するにもう現実が辛いので、どっか遠く行きたい、もう今さら周りが何を言おうと知らん、という話ですね。

この「宣言」がまた底抜けに明るい。これでいいんだ。と言ってくれているような。

そして同時に底抜けに切ない。ありえない希望を描くことほど悲しくて美しい状態はない。人はそれを切ないと言う。

それでは、さようなら。

シャラララ、シャララララ、シャラララララララ.......