フィクションの思い出
井上陽水の「少年時代」に登場する「風あざみ」や「宵かがり」などの言葉は造語であるらしいことを最近知った。
たしかに、よく歌詞を追って聴いてみると、言葉もよくわからないばかりか話に脈絡というものもない。
夏が過ぎ、風あざみ。誰かのあこがれ、さまよい。青空、残される、夏模様。
意味は不明だが郷愁を誘うワードがひたすら並べ立てられる。
切ないメロディにのせて語られるこの言葉たちは、ストーリー立てられた歌詞以上に独自の実感としてファンタジーな夏の郷愁を呼び起こす。
抽象的な表現によって鑑賞する人それぞれに深い印象をもたらす手法はなんだか絵画的だ。
夏の青空や、草木のにおいとか、自由だった幼い頃、いつかの花火大会とか、そういう思い出があるからこそ、抽象的であっても芸術を鑑賞できる。
私はこれを「エモパワーの蓄積」と呼んでいます。
何かしら真実の想いを持って生きた瞬間があってこそ、それを呼び覚ます芸術がある。