尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

プリキュア論

おれが「プリキュア」を好きなのは、所謂「大きなお友達」的な理由によるものではない。
たしかにキュア・ブラックのムキダシハレンチなおへそに欲情することはあっても決して同人誌などに手を出すようなことはない。本当だ。本当かな?
何にせよ、おれが好むのは所謂初代プリキュアから「Yes!プリキュア5GOGO!」までであり、それ以降に果たして興味はない。
つまり、もとは小さなお友達だった世代が大きくなって、「大きなお友達」と化したに過ぎない。
証拠として、おれはオタク向けプリキュアとして名高い「ハートキャッチプリキュア!」についてなんら興味感心を示さない。断固としてハートキャッチされていない。

しかし、「プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!(2009年3月20日公開)」なる約70分間に及ぶ記念すべきプリキュアオールスターシリーズの映画第一弾は、「Yes!プリキュア5GoGo!」以降のキャラクターも登場するが、しっかり集中して観た。
オールスターズの特徴として、映画公開時に放送中のプリキュアが作中で主人公的役割を担うということと、ミスターサスケが絶対に反り立つ壁を登ることができないということがある。
そのため、第一弾にしておれの敬愛するキュア・ブラックは脇役もいいところであり、見所こそあれどおれとしては物足りなかった。
とか言っていると第二弾以降はどんどん脇へ脇へと押しやられているので、最終的に今はたぶん「ウオーー!(ワンパン)」ぐらいしか出番がないのではと推測する。
今年3月にオールスターシリーズの第七作目が公開され、彼女は一応出演したようだが、初代プリキュアの放映が11年前であることを考えると現在の小さなお友達にとって需要のなさは明白である。誰だあの露出の多い衣装の悪人面はと映画館でざわめきが起こるのも無理はない。

11年前、初代プリキュアが放映されている頃は七夕が近づくと駅構内の短冊などに「キュア・ホワイトになりたい」とカアイラシイ字で書かれたものをよく目にした。
キュア・ブラックになりたい女児は圧倒的マイノリティであった。
純粋な幼女の多くは、あの白いほうの人が、関節技を武器に陰湿極まるファイティングスタイルをとることを知らないのだ。

初代プリキュアの制作裏話に、こんなのを聞いたことがある。
はるか古代より日曜朝のあの時間はおジャ魔女どれみとかそういうカンジの女児向けアニメ枠が伝統であった。
しかし、初代プリキュア放映にあたる時期にその枠を任された当時のスタッフは、ドラゴンボール(だった気がする)のアニメを制作していたゴリゴリのバトル系アニメスタッフで、女児向けアニメは専門外の連中だったという。
そこで困った彼らが、ならばいっそ女児向けバトルアニメを作ったれ!と言ってできたのがあの初代プリキュアなのだ。と、聞いたような気がする。おれの言うことを簡単に信じてはダメですよ。
しかし、まあ、内容を見ればその裏話もなるほど納得で、可愛らしい女の子が、特撮戦隊ものも顔負けの肉弾戦を繰り広げる。
唯一の魔法らしいワザもまったく可愛らしくなく、悟空が三倍カメハメ波を放つような面持ちで、白と黒のカワイゲのない雷のようなタクマシイ光線を物凄い質量で放つ。
今のプリキュアの必殺技は虹色でキラキラしてカワイラシイが、初代はアレただのギャリック砲である。
戦闘中は女のコといえど容赦なく、「コワイナー」とかいうのが鳴き声のでかい怪人に暴行を受け、毎回毎回目に見えてボロボロになった末、やっとの思いで勝利するというのが定番であった。
敵の幹部はたしか全身タイツのマッチョな奴らだったと記憶する。
ちなみに敵のマッチョなタイツはプリキュアシリーズにしばらく引き継がれる。そんなにマッチョなタイツが女のコをいたぶるという構図が大事か。ぜんぶコナンが悪い。


大胆不敵フルスロットル 負けない嵐が荒れようとも
Yes Go!Go!いくよ女の子!

というのは三代目プリキュアの1クール目OPの歌詞である。
おれはこの曲がダイスキなのだが、なかなか理解されない。おれがカラオケでただ喚き散らすから皆引いているのかもしれない。
諸君はこの曲に「女子の膂力(りょりょく)による反抗」という美しい定理を見ないだろうか。
プリキュアの戦士たちは、普段はただの何の変哲もない女の子だ。今もおそらくこの約束は守られているはずである。
その女の子たちが、なんだか正体不明の妖精たちに勝手に選ばれ、勝手に戦士に仕立て上げられる。妖精の力を得た彼女らは、可愛い衣装と、戦うためのチカラを手に入れる。
女の子は、身体的な弱者のメタファーである。
その女の子たちが、プリティでキュアキュアな可憐さを維持したまま、人外のパワーを手にし、生々しい回し蹴りを体格で勝る相手に喰らわせ吹き飛す美しさ。
力への反抗を求める一弱者としておれはプリキュアを愛すのだ。

もしも彼女らがプリティでキュアキュアでなく、ただの強い女の子ならば、それはただのサラ・コナーになってしまい、面白味は半減する。
サラ・コナーは精神病棟で懸垂をし、医者の腕の骨を警棒でぶん殴ってへし折る女だ。手のひらからギャリック砲まがいの光線を放つことなどおそらくわけもない。
あくまであの華奢な体格と女児向けアニメ絵でありながら敵をブンナグルことに美がある。

他の作品を見れば格闘家の可愛い女の子はいくらでもいる。
ストリートファイターチュンリーは太ももがムキムキすぎるのでサラ・コナー側としても、銀魂の神楽やマギのモルジアナちゃんなどは違うのかという話になる。
だが、プリキュアの戦士たちと彼女らの間にある圧倒的差異は、(おれが真面目に「プリキュアの戦士たち」と言うのを笑ってはいけない)彼女らが元来の怪力バカであるかどうかというところにある。
彼女らは学校帰りにクレープを食べない。
こうなるといよいよ異様なのはプリキュアの戦士たちのほうである。プリキュアの戦士たちってなんだ。
普段はただの女学生として普通に登校し、クレープを食べ、そしてクレープを食べ、またクレープを食べているかと思えば平然と全身タイツの男を複数人がかりでボコボコにしていたりする。かと思えばまたクレープを食べている。
その異様さを許すのが「女児向けアニメ」という前提である。
「子供向けかつ女の子向け」この前提が持つ意味は大きい。
最近ではこれに「大きな男性向け」が公式に加わったとか。
世も末である。