尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

パリ旅行記 最終日

ついに最終日である。

五日目は、ルーブル美術館に行くことしか決めていなかった。

ホテルで最後の朝食を食べてチェックアウトした。
朝食代を別途とられたが、もともと素泊まりプランを予約したつもりだったので薄々そんな気はしており、やっぱりか~と苦笑いする程度のリアクションをとるに止まった。
食事の内容には満足していたし、居心地も良かった上、どうせ食べることになっていたであろう毎日の昼飯代のことを考えれば、損した気分にはならなかった。

さてまずは、新しく増えた何着かの服のせいでさらに膨れ上がったクソでかボストンバッグをどうにかしなければならなかった。

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ちなみにこれは、誠一郎君に「被写体の見栄え」という点で完敗して没になった初日の写真であるが、画面左の男の持っているものがそのクソでかボストンバッグである。
見るからに重そうであり、事実重く、何なら中身が空でも死ぬほど重い。
こんなものを担いで歩き回っていたら間違いなく途中で死んでしまう。

そこで、クロークを利用するため、まずはルーブル美術館へ向かった。
ロッカーに荷物をぶち込むだけぶち込んで美術館を離れることは、あまり良くない行為な気がしたが、ルーブル美術館の構造が、チケットを購入せずともロッカーを利用できるようになっていたため、それを黙認の表れと解釈して遠慮なく利用することにした。

バクダンが入るのに丁度良さそうなバッグと古着屋調達の小汚い恰好のせいか、荷物検査では人一倍念入りに調べられた。
そしてクロークに荷物だけ置いてそそくさと美術館を出る様は完全に爆弾魔だった。

美術館を出た後は、クルーザーに乗りにポン・ヌフへ歩いて行った。

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これは二日目に乗せた写真の反対側の景色である。
河の真ん中に浮かぶ小さな島とは、何か夢見心地に心くすぐるものがある。

セーヌ河クルーズの予定は、お父さんからの提案でその日の朝急きょ決めたものであった。
おひとり様のご利用客は極端に少なく、初日に誠一郎君と来れば良かったと、チョット寂しい気持ちになったが、ホテルの朝食に出たのを懐に忍ばせておいたリンゴを丸かじりして、放浪の民感を出すことにより、孤独を肯定することに成功した。

相変わらず馬鹿みたいに天気が良く、クルーズは快調だった。
ただ絶望的に寒かった。船の上があんなに寒いとは思わなかった。あまりにも寒いので、単純におでんとか食べたくなった。
室内席もあったが、屋上から見る景色のほうが絶対に楽しいと思ったので、頑なに屋上に居座り続け、船の縁に腰かけるのを止めなかった。そして別に食いたくもないリンゴをかじっていた。
前の席に座っていた家族連れがインカメラで写真を撮るたびに、小汚いアジア人のリンゴを齧る姿が映りこんでしまって、申し訳なかった。

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船上の様子。
ガイドさんがいろいろしゃべっているのをそっちのけで、みんな自撮りに必死である。

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これは頭の上からエッフェル塔が生えているような画を撮ろうとしたときの写真である。
山田がバリ島だかで撮ってLINEのアイコンにしているのを真似しようとしたのだが、いかんせん自撮りの経験値がそのへんのじじいと変わらないので全くうまくいかなかった。

クルーズが終わる頃には体温が死体のようになっていたが、内容には満足だった。
途中、「橋を通過する時、暗くなった瞬間に隣の人とキスをしましょう」みたいなアナウンスが流れて、周りにいた老若男女のカップルが本当にチューしていた。
うち男同士らしき二人が熱烈なキスを交わしているのを見て、ちょっとびっくりしてしまったが、後でよく見たら片方はおっさんみたいなおばさんだった。
無論僕はすることもないので、5秒間で何回呼吸ができるか練習したりしていた。
次来る時は恋人持参で来たいものだ。


クルーズを終え、時間は13時頃、ルーブル美術館に行ってもよかったが、そういえばセーヌ河の左岸を全く歩いてないなと思い、カルチェラタン~サンジェルマン・デ・プレを散策することにした。
ただの散歩がこれ以上ない観光になるのがパリの良いところである。

シテ島をふらふらしてノートルダム大聖堂を横目に橋を渡り、カルチェラタンにあるパンテオンを目指した。
カルチェラタンは、パリの学生街らしい。
映画「コクリコ坂から」で、物語の争点になる文化部部室棟の名前がカルチェラタンであった。あの映画自体はただの"安っぽいメロドラマ"だが、昭和的なアカデミズムの再現は好きだった。
僕は学問を熱心にしないが、学問が持つ雰囲気は好きだった。(いわばファッション文学部である)
なのでフランスの歴史ある学生街ともなれば、聞くだけで気分が高揚するというもの。おれはそういうしょーもない男だった。

パンテオンは、ソル・ボンヌ大学のすぐ傍にある。
ちょうどお昼時だったので、たくさんの学生が表へ出て昼ごはんを食べていた。
ここも入場料は無料。
中央には、我らが愛宕山科学館でお馴染み、フーコーの振り子があった。
レオン・フーコーという男が昔ここで地球の自転を証明したらしい。はえ
地下は墓地。偉人がたくさん眠っているらしかった。

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パンテオン正面からはエッフェル塔が覗く


サンジェルマン・デ・プレを目指す前に、せっかくなので、ソル・ボンヌ大学に少しだけ侵入することにした。
ここの学生ですよ?みたいな顔でジョギングしていたので、まったく怪しまれることなく建物内をウロチョロすることができた。
教室とかにも普通に入れそうだったが、フランス語は「はい」と「まけてください」しか解らないので、万が一当てられでもしたら困ると思ってやめておいた。
授業中の大教室とかを覗いて「ウホォ~やってるやってる」とか言って面白がっていた。


サンジェルマン・デ・プレへは結構歩いた。
途中、画材屋さんを覗いたり、大きな公園を通ったりした。

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人は多いが、広く静かで長閑な公園だった。
ベンチに座っている人はだいたい昼寝をしていたことからも、その長閑ぶりは窺えた。
こんな公園が近所にあれば最高である。
天気の良い日は、死んでいるのか生きているのかわからない顔をしながら、一日中ベンチに座っていたい。そしてそのまま死んでしまいたい。


公園を抜け、思考停止のまま歩いていると、レンヌ大通りに出た。
そこをしばらく北上したのち、適当なところを右に曲がってみると、噴水のある、サン・シュルピス教会に出た。
そこからイヴ・サンローランに釣られて路地へ入ると、ハンドメイドの革製品を扱うお店があった。
財布が買えたらいいなと思ったが、お昼休みで閉まっており、あと10分で開くところだったので、しばらくショウウィンドウに顔面を張り付けて、「お金が貯まるまで店の前を通りかかる度に憧れの商品がまだ売れていないか確認する貧乏な青年ごっこ」をしていた。
しかしすぐ飽きたので、やめてルーブル美術館を目指した。


今回のパリ旅行はルーブル美術館に終わる。
恐らく世界で一番有名な美術館だろう。その収蔵品の数は38万点を超えるそうだ。敷地もものすごい広い。北海道ぐらいある。
芸術作品を鑑賞するための施設でありながら、全ての作品を観ることはできないという矛盾を孕むふざけた美術館である。

というような事前知識はあったが、おれは美術館に行ったら必ず全部の作品を観る男、泥水をすすってでも全部観てやるぞ、と意気込んでいたが、美術館に入場したのが16時頃で、単純に時間が足りないという事態に陥った。
ルーブルぐらい大規模な美術館ならば深夜2時ぐらいまでやっているだろうみたいな勝手な認識が心の奥底にあって、時間のことを全く気にしていなかったのである。

仕方ないからガイドブックに載っていた「これだけは押さえておこう」みたいな、芸術的誠実さの欠片もない特集を参考に回ったが、それでも完全に迷った。
まさに絵画の森だった。

館内どこへ行っても中国人観光客の団体が多い。パリの中国人観光客はここで寝泊まりしているのかというぐらい多い。
そして絵の前に寄って集って写真を撮る観光客の多さにはウンザリした。お前らそれアフロさんがもっと上手なの撮ってネットにあげてるから!と言いたかった。

順路としては一階からスタートし、まずミロのヴィーナスを嘗め回すように観て、迷いながら上階へ行くと途中にサモトラケのニケがあった。
サモトラケのニケはカッコよかった。頭と腕のない女神が、翼を広げて前のめりに立つ姿は、まったく純粋な「前進」を表しているようでアツかった。

二階は見応えのある絵画ばかりで、時間を気にしながら観るのが勿体ない思いだった。
世界史でお馴染みドラクロワ民衆を導く自由の女神」は、フランス国旗の赤が映えるアツい絵画のイメージがあったが、実際はもっと暗い印象だった。
モナリザも観た。女優の小雪モナリザに似てるんだなあと思った。

三階ではものすごい迷って、もう一生出られないんじゃないかと半泣きになった。
行けども行けども王室の調度品が並び、これクリニャンクールで見た!とイライラしながら回ったので何にも面白くなかった。
ガイドブックに載っていたトルコ風呂とか観られなかったし、時間は食うしで最悪であった。

もう時間がなかったので、最後にハンムラビ法典観てシメようと思って一階まで戻った。
しかしなかなか見つからず、最終的におじさんの顔をした怪鳥の石像がたくさん並ぶエリアに行きつき、怖すぎてオシッコちびりそうになった。
ハンムラビ法典はその近くにあった。掠れて読みにくかったが、目には目を歯には歯をとか書いてあった。

駆け足になってしまったが、ルーブル美術館もいちおう観て回ることができた。
これでおれのパリ旅行も終わりである。あっという間の五日間であった。


外に出るとすっかり日は暮れていた。
夜のパリの街並みはやはり美しく、肩にめり込む荷物を背負いながらも、どこまでも歩いていけそうだった。
これでもうおしまいかと思うと名残惜しいことこの上なく、セーヌ川沿いをコンコルド広場まで未練がましく歩いてから、メトロに乗った。


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パリとても良いところでした。連れ出してくれた誠一郎君に感謝、一人ではきっと行かなかったことでしょう。