尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

エンターテイメントとしての散財

諸君は休日何をして過ごすだろうか。
日々勉学とナケナシの小銭を稼ぐためのアルバイトに追われているのだから、たまに得る休日は思い切り自分を甘やかしたいものである。
ちなみに俺は勉学に励まぬことスポクラの如くと言われ、また、働かざること杉山の如しという、例えるまでもなくむしろ自らがことわざになってやるというふうな勢いで働かない。
しかし、休日に自分を甘やかしたいという至極生理的な欲求は、学ばざる者働かざる者見ざる言わざる聞かざる者皆平等に抱くと言って間違いはないであろう。
ということで当然この流れから予想される本日のブログの展開は、今日は休日だったので自分を思い切り甘やかしましたという内容になることが予想されるわけだが、ここまで書いた時点で俺は今日が休日でなかったことを思い出した。
なるほど、ここまで回りくどい前置きをしておきながらその前置きが予想だにしない空振り三振サヨナラホームランとは恐れいる。
それでは、仕切り直して今朝の出来事から語らねばなるまい。

4月18日土曜日
本日は晴天なり。前日に天気予報をチェックした通り、朝下宿の窓を開けると清々しい陽気と穏やかな春の匂いが男汁と陰毛に満ちた我が六畳半を吹き抜けた。
「最高の散財日和であるな」
俺は呟いた。
ちなみにこの時点で時刻は十時三十二分。とても2限を控える一般の学生の挙動ではない。だが、「十時四十分授業開始」とは不特定多数を相手に行われる講義というものに便宜上付与された「普通の学生」が守る下らないルールであって、「普通ではない」杉山氏にとっては弟の「一番風呂がいいから先に入らないでね」という要求ほどの拘束力も持たない。
俺が起きれないのは仕方がないし、一番風呂に入りたい時は入りたいのだ。
故に、今日も両親からの怒涛のモーニングコールによってなんとか布団から脱出するに至った杉山氏が遅刻しようと誰にも説教を受ける筋合いはないのである。

2限は上代文学史というケチな授業だ。古事記について学ぶ。
俺は火曜2限の必修で、東京03の角ちゃんに激似な教授にも古事記について教わっている。
なぜ週に2回も古事記について学ばねばならんのだ。
それは俺が土曜日2限にこの授業をとったからだ。
この授業は選択講義といって、卒業までに習得せねばならない10の単位に算入できる限られた講義の一つである。でなければ俺は週に二度、古事記を学ばない。
授業中はいつも通り無数の落書きをして過ごした。
俺のシャーペンは宇宙だ。ボールペンしか手元にない時はボールペンも宇宙だ。そこに余白があり続ける限り、俺の右手は止まることを知らぬ。
これは病気なのだ。俺の病気は、主に朝起きれない病と貧乏揺すり症とこの落書き症候群の三つだ。あと水を身体に浴びると発疹が出る。
授業終わり、ちゃんみなと久しぶりに会った。同じ授業をとっていたらしい。
会ったといっても、向こうが久しぶり!と言いながら教室の机の間をスイスイと歩いてゆく姿に俺は手を挙げて「オゥ!」と鳴き声を発したのみであるが。
彼女は結構前に広瀬すずカットにしたら広瀬すずに激似になってしまったとのたまっていたが、俺は今日までショートカットにした彼女を見なかった。
なのでその報告を聞いた時に曲がりなりにもその姿を想像してみたのだが、今日見た彼女は当時想像したそのままであった。つまり、広瀬すずに激似ではなかったのである。

東西線半蔵門線を巧みに乗りこなし、俺は渋谷駅で降車した。そして厠にて多少の赤痢菌をぶちかました。
阿呆二人と合流すべくハチ公口に向かう際、しょーたろに会った。
しょーたろとはハーフ顔のゴリラである。もう一つの特徴をあげるとすればかなりのウェイなのであるが、その特徴を加えて彼を一言で説明するには、「ゴリラ顔のウェイ」というふうになる。
決して「ハーフ顔のウェイ」ではないのだ。譲れないゴリラがそこには在る。

我々の言うところの「散財」とは、高くてカッコイイ服を買い散らかしてゲラゲラと面白がることである。
頭に関しては実に悪い。
そのような愚行を運ぶ阿呆な仲間は次の二人である。
まず、桜餅亮。またか。またお前か。俺はそう言いたい。
阿呆なことには大体この男が噛んでいる。その謎は古くから解明されぬままであったが、俺はこのところ思う。彼が阿呆だから彼の周りに阿呆現象が起こるのでは、と。恐らく正解である。
次に、ガンシゲルコウジ。この意味不明な名前をした男も、桜餅同様、中学1年からの付き合いである。
ワードセンス溢れるツッコミと変なイントネーションで笑いをとりにくるごり押しなボケに定評がある。
下品なことに関しては人一倍堪能であり、やれと言われればこの世の終焉を迎えるその時まで延々と下ネタを生み出し続けることができると豪語する、最低な男である。
また、「ただの○○じゃん(、そんなの)」というツッコミを発明したのは彼であり、これは後に「マルモ構文」と呼ばれ、「ポレポレ英文解釈」に掲載される。
そして彼は疲れてくるとこの構文を用いたツッコミを乱用し、人の家のティッシュ箱から音速でティッシュを撒き散らす。
調子が良いと同じ内容のツッコミを一度に4、5回繰り返す。
4、5回繰り返した後は、満足気な顔をして上裸になり、机の下で「海軍、海軍」と言って腹筋を始める。
バイト先のカフェではバレンタインデーに女の子からチョコレートを貰ったらしく、その頃彼に会うと、「ワンチャン、ワンチャン」などと言って異様にはしゃいでいた。
以上は言わずもがな悪意を存分に含めた紹介である。

服を買うことに関して、桜餅は非常に貪欲である。
彼が昨晩見た夢は、自分の気に入った白いスニーカーを買わない友人とは縁を切るというものであった。(また今朝は「デニム!」と叫んで目が覚めたらしい)
三度の飯とデニムが大好きで、美味いモノとデニムに関しては投資を惜しまない、言わば美食家デニム東大生である。(東大生というワードは一般的にはステータスの一つだが、このような場合においては用いることにより変態性を増す)
また、道行く人を見る時は必ず下半身から見る。下半身のファッションがかっこよかったら上半身を見、上半身のファッションがかっこよかったら顔を見る。
彼は言う。顔とは所詮才能であり、見たいのは努力の成果だと。
かっこいいふうになっているが、日本語の意味さえわかれば答えは簡単だ。彼は変態なのだ。
ちなみにガンシゲルコウジが道行く人を見る時は、まずオッパイを見る。彼も変態である。

数日前一足先に散財を終えていた桜餅は今日、我々二人に対するアドバイスに徹した。
ガンシゲルコウジのワードセンスはカッコイイ服を褒める時にも光る。
最も有名な言葉は
「ヨーロッパの風が吹いている」
である。
彼らはスニーカーはナイキかニューバランスかで絶えず論争を繰り返していた。
次会った時に相手が自分の推していないスニーカーを履いてきた場合、そのスニーカーにカタカナで「ヴァンズ」と書くという条約が締結された。

13時前に始まった散財は21過ぎをもって終了し、我々は新しい服を抱えホクホクと家路についたのだった。
我々は家に帰って眺める。新しい服を。
そして俺は思うのである。この服を買うお金は一体どこから湧いてきたのだろうと。

アルバイトをせねばなるまい。

(このブログはフィクションを織り交ぜている可能性があります)