尾ひれ100%ブログ

服に7つのシミを持つ男プレゼンツ

連れていっとくれ

空想の世界へ連れていってくれ。

転職をして以来、テレワークになったのはいいが、仕事をちゃんとしなくてはならないので大変である。

仕事を一生懸命しているが、本当は一生懸命したくないのである。

一生懸命する分にはいいと、人は言うかもしれないが、一生懸命であることそのものがイヤなのである。

要するに、仕事をしている時間は自分の人生の時間ではないという思いがずっと心のどこかにある。

自分の人生の本当の時間とは、よく晴れた日に全身で陽射しを感じて、静寂のにおいを嗅ぐ時である。

もしくは大音量のブルーハーツが連れて行ってくれる場所にいるときである。

あとがき

第一、私は文学部で日本文学を専攻していながら、小説というものがあまり好きではなかった。

物語世界がもたらす感情の揺らめき自体は、現実世界では体験し得ないものとして、価値あるものと思うし、好きである。

しかし、いかんせんまどろこしい。感情の揺らめきを体験するのであれば、映画や音楽の方が早い。感情は肉体的なものであるので、映像や音で感じた方がわかりやすいのは道理である。

小説世界ならではの感動というものが、ないはずはない。休日の朝方、コーヒーをすすりながら、片手で広げるためだけに文庫本が生まれたと考えるには、この世に本屋が多すぎる。

言葉は、感情よりも論理を司るものだと思う。

感情を表現する言葉は、詩で良い。

だから、私が小説を書こうとするならば、その時は「一発当てよう」という動機によって書かれることが間違いない。

すなわち、人の感情を動かせるのではないか、と思うに足る空想世界を恥知らずにも思い付きながら、映画や音楽を作るにはやる気も才能もないと知っている場合である。

 


好きな小説。

読了できた小説自体がそもそも人より少ない。その辺のスポーツ科学部出身より少ないであろう。

思えば、小学生の頃はよく小説を読んでいた。

それも、「ダレンシャン」などではなく、もっと硬派な古典文学である。

初めて図書館で読んだ小説、不思議と覚えているものである。これが私を読書根暗ボーイへと誘った問題作、「十五少年漂流記」である。

内容はよく覚えていないが、とにかく面白かった記憶がある。

他には、HGウェルズの「タイムマシン」。この小説は何気に結構覚えている。

読みながら空想した未来人の姿は、ファーヴィー人形のエディットだった。

私が借りたであろう本は、表紙のイラストも素晴らしくて、点描で描かれたような芝生殺風景だったように思うが、それがまた未来世界の奇妙な静けさと不安をかき立てた。

あと読んでいたものといえば、「怪人二十面相」や「怪盗ルパン」だった。

この辺りはほぼ惰性であり、初めに借りた者だけが手にできる栞目当てだったことが否めない。

小学生が中学生になって、本を読むことはほとんどしなくなったように思う。

違法サイトでダウンロードした音楽を聴いたりしていた。それも、「GReeeeN」とか銀魂の主題歌とか、しょうもないものである。本当に何にもならない。

以後、小説らしい小説は読むことがなかった。漫画は結構読んでいた。

おやすみプンプン」や石黒正和作品は文学の側だと思う。

そういうことで、大学も文学部を選んだ。

そこで小説にまた対峙せざるを得ない環境に置かれるが、どうにも面白くない。

面白かったのは「四畳半神話体系」ぐらいだが、あれはアニメの方が数倍面白い。

坂口安吾も面白いのはエッセイであって小説ではない。

桜の森の満開の下」や「夜長姫と耳男」はエモいが、それは安吾イストの贔屓目が否めない。

 


昔は小説が面白かった。

否、小説はずっと面白い。私が小説を楽しめなくなった。

せっかちで、想像力を失った。

文字だからこそ見られる自分だけの世界がある。

きっとみんなそれを楽しんでいるのだろう。

私はもう、脳が退化して、感じることしかできない。

映画も、音楽も、感じるだけ。

極めて受動的。

小説とは、作者の綴った言葉を基に、自分が創り上げる物語世界である。

空想に耽ることもなくなった。

ただ、快か不快か。

快であれば、考えることはしないし、不快であれば、その問題解決について考えるだけ。

 


内省の終着点。

ある絶望に至った。

私が文学だと思って拠り所としていたものは、コンプレックスの慰み物でしかなかったのではないだろうか。

思えば私は、憧れによって動かされてきた。

独自の実感に飢えていると思っていたのは、憧れに対する諦めのポーズであった。

本当はそういう性質のものと対極の位置にある、誰もが憧れる存在にただ憧れながら、それには成れないとして、まだ近い、逆側の存在を目指しているポーズをしていただけだった。

私が真に「必要」と感じているのは、独自の実感ではなく、「社交性」である。

こんな恥ずかしいことがあるかい、と。

この世の語り得ぬもの全て、そして文学とか芸術、こと実存的な苦悩に限っては、「社交性」によって解決される。

この年になって社交性を育てるより、一人でエッセイを書く方が万倍楽である。

だから私は性懲りもなく、このブログを、中学2年生以来書いている。

社交的であることを諦め、芸術家に憧れ出して以来、社交性からは遠ざかり続けてきた。

もしくは、人との関わり合いに満足した人間がそれでも抱く苦悩を表現するためにあるのが芸術なのかもしれない。

ここが私の終着点。このコンプレックスが解消されなければ何にも至れない。

誰か次の道を教えてくれ。

スイス回想記

ちょうど3年前の今頃、私はスイスにいた。

荒野アイスランド旅行から帰って翌日の1/20日から28日まで、おおよそ1週間を過ごした。

出発の日は、アイスランドの激さむい日々と帰りの飛行機の無茶(ホステルのロビー泊および恒例の空港ダッシュ)(旅行にダッシュは付き物である)によって、完全に体力を消耗して風邪をひいていた。

早朝、まだ日の昇らないダブリンシティで朦朧とする意識の中バスを待っていたのはスイス旅行の時だったと思う。

ダブリンバスは絶対に時刻表を守らない、自分を持っているタイプの公共交通機関なので、その時も目当てのバスは待てども来なかった。

そのことは承知の上だったので、信じられないぐらい早く寮を出たはずだった。

空が明るみ始めた頃、空港行きのバスは来た。

空港でもずいぶんと待った。

なぜか、ビジネスクラスに格上げになった。

機内では食事にパンが出た。

初日の予定は、ツェルマットに行くことになっていた。

そう、スイスの壮大な雪山でスキーをする算段だった。

そもそもスイスの観光シーズンは春から夏であり、冬に行っても国民は全員家の中で暖炉を囲んでいるし外は雪で埋まっているので、できることといえばスキーしかないのである。

空港からツェルマットへは電車で向かった。

長い長い電車だった。車両ではなく、乗車時間が。

熱に浮かされていたので、永遠かのように感じられた。

薄暗い車内で、満席のボックス席だった。

目の前に座っていたイケオジが自分と同じブランドのジャンパーを着ていた。

ツェルマットには夜遅くに着いた。

街並みは基本的にロッジ。マンションらしいのもあった。街中にスキーリフトがあるなど、滑り屋のために造られたような、いわば滑り都市であった。

体力は限界だったが、何か食べないと身体が回復しないと思ったので、ホテルのレストランで夕飯を食べた。

私は風邪の時にいつもの3倍飯を食うように教わって育てられた男だった。

レストランは地下にあって、みんな楽しそうにお酒を飲んでいた。

寝床の様子はよく覚えていない。

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朝起きると快晴だった。

太陽が雪に反射して、今まで体験したことのない眩しさを感じた。

まともに目を開けて往来を歩けないので、不本意な店で不本意なサングラスを買わざるを得なかった。

そのサングラスとは、タモリが着用しているのと同じモデルである。

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スキー板など持参できるわけがなかったので、レンタルした。

ひとりでスキーに来たということを店員に話すと、たいそう驚かれて「cool」と言われたのを覚えている。

たしかに、スイスの雪山には親しい友人や家族などと来るのが一般的であり、またより楽しいことだろう。

ただ私にはそうした友人がいなかったまで。coolではない。

ツェルマットのスキー場はとにかく広い。

そのスケールは東京ドーム何個分では測れない。

かの有名なマッターホルンを中心に、スイスとイタリアを跨いで延々と滑っていい地形が広がる。

スイスから登ったと思ったらイタリアに滑り降りる。それがマッターホルンスキー場。時間のことを考えないで滑っていると夜に宿へ帰れなくなってしまう。

大江戸線エスカレーターを思わせる巨大ゴンドラでまずは一番高いところへ。

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そこでミートソーススパゲティを食べた。

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滑り心地は控えめに言って世界一。風邪も忘れて楽しんだ。

宿に戻ると風邪を思い出して具合が悪くなった。

スイスの、よくわからない風邪薬を飲んで寝た。

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2日目に続く。

モチベーショングラフ

今日、新入社員に向けた半年研修が行われた。

この時期は、新入社員の仕事に対するモチベーションが下がりがちらしく、そうした社員を元気付けて騙し、また奴隷のようにコキ使うことが目的であった。

研修にあたって、入社から現在までのモチベーションの変化をグラフに起こすことを課題として出された。

ぼくは年がら年中「仕事」が嫌いなので、モチベーションの変化もヘチマもなく、深く考えずにほとんど一定のグラフを描いた。

研修を通して議論されていたことは、どういう考え方であれば仕事で成果を出せるかということだった。

そこで語られる多くは、コテサキであり、そもそもそこまでしてこの会社に我が身を捧げるべきか?という根本的な問いが欠如していた。

ぼくの興味は専らそれである。

目指すところは既に会社の外にある。

夢はリモートワーク。家が建つだけの収入と、救われた休日が最も欲するところである。

夏の憂鬱、冬の憂鬱

 


ぼくは年中陰鬱を抱えて生きている。


常に何かしらの不安やワダカマリに囚われ、気分上々↑↑のはじけ飛べファンキナイな心持ちで夜寝て朝起きたことなど久しくない。


寝る前、会社からの帰り道、シャンプーをしている時に、不安がぼくを襲う。


ぼくは思わず「キャッ」と悲鳴をあげてしまうので、側にいる人を驚かせる。


不安は心を、かき乱すものであるが、時に静かにもする。


台風が去って、秋がやってきたように思う。


季節の変わり目は、普段気に留めていない地球を感じさせる。


そういう時、不安にかき乱されてメクラになっていた心が、ふと地球を受け入れて、生きていることを思い出す。

 

不安がなくなるわけではないし、希望が見えるわけでもないが、静かに現実を受け入れる心が蘇るような気がする。

「はじめてのおつかい」の涙

諸君は「はじめてのおつかい」を見ただろうか。「はじめてのおつかい」を見ただろう。

クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」と同等レベルに大衆泣かせるテレビ番組として名高い「はじめてのおつかい」である。

かく言う私も「はじめてのおつかい」を見て涙する大衆の一人である。

「はじめてのおつかい」を見た大衆は涙するが、その涙はいったいどこからやってくるのだろう。


「ひとりひとりのおつかいにドラマがある」とは毎度言われるありきたりな文句だが、まさしくそうで、この世に生まれ落ちた人間が初めてたった独りで世界に立ち向かう瞬間である。ドラマでなくては何か。

ドラマを描いたフィクションの本質は「はじめてのおつかい」と等しい。

孤独、母親への郷愁と愛、兄弟を守ろうとする慈愛と勇気。その最も純粋にしてノンフィクション、そして誰にでもある形としてあるのが「はじめてのおつかい」である。

私たちは忘れてしまったが、人間は誰しも「はじめてのおつかい」をしたことがある。

その時の愛と勇気はほんとうのことで、誰の心にもあるはずなのだ。忘れてしまっているだけで。

ひとづきあい

私は昔からスムーズな会話をする方法がよくわからないし、爆笑のトークもできないので、人付き合いが苦手であった。

かといって人が嫌いなわけではないので、できる限りは人に優しくしたいと思っているし、愛想笑いをする方である。

ある時期は、人付き合いが下手くそなのが恥ずかしく、見た目で根暗をわかるようにして自分の殻に閉じこもり、人前で話すときも「喋るのが苦手なのではなく、嫌いなだけなんだぞ」というテイを貫いていた。

留学に行ったのは、そうしたコンプレックスを打ち砕きたい一心でのことだったのだろうと今思う。

結果として、根暗な内面は変わらずとも、人前で話す時に緊張を隠すのが多少上手になった気がした。

留学に行ったという事実を自分の中に持つことで、「俺は喋るのが苦手じゃないんだぞ」というテイで人前で話せるようになっていた。

ただそれだけでなく、貴重な実感として得たのは、どんな言葉でも、正直に伝えようとすれば、伝えたいことは伝わる程度の、人間に対する理解力が、我々人間には備わっているのだということである。

不完全な英語でも、懸命に言葉を口から出せば、相手に伝わるという体験をしたからこの実感を得た。

私が初めて覚えたコミュニケーションの方法は、「本当に思うことを言葉にする」という最も単純な方法だった。

それ以外の方法は今のところ愛想笑いしか知らない。

23年生きてそれしか知らんのか!仕方ない。勉強をサボっていたから。

私は自分のことを気遣い屋だと思っていたが、実はそうではなかった。

むしろ私は人の気持ちが、人よりわからない。

気遣っているのは人の気持ちではなく、その場の「空気」である。

飼い主が喧嘩しているのを前に、よくわからないくせにおとなしくしている犬や子供と同等である。

付き合いの長い相手、もしくは自分を解放し切ったイカレボーイ相手でもない限り、気持ちがわからないので、何を言うべきかをその場の空気をもとにしてしか考えられない。

いわば会話の縛りプレイである。

普通は、周りの皆んながその状態にあるイージーモードの幼少期から会話を繰り返して、相手の気持ちを思いやる訓練をするものだ。

そうして培った会話のコツを世間では「常識」と呼ぶ。

私に常識がないのは、今までくさばなとしか会話をしてこなかったからである。

学校と会社は似ている。同じメンツと毎日長時間コミュニケーションをとることを強制する空間である点においてである。

私のような人の気持ちがわからない人間にとって、そうした空間は苦痛である。

また私のような人の気持ちがわからない人間を相手にする方も、困難を感じるはずである。組織を正常に機能させるためには、全員が人の気持ちを理解できること、つまり組織が一人の人間のように思考することが理想だからだ。

私は率直であるだけだ。だが、当然人間は皆違うので、個性を垂れ流しにする者は、組織が一人の人間のようになることを妨げる。

だからこそ組織は規則を持つことで、一定のところで個性をせき止めようとするのだろう。

裏を返せば組織とはそれだけのもので、人の個性を何でもかんでも殺していい場所ではない。

理解しようとしない人間が悪者なのであり、理解が苦手な人間は悪くない。

私が留学で習得したのは社交性ではなく、個性を垂れ流す度胸だった。

思っていたのと違うのを習得してしまっていた。